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学びが、学びを生み始めるとき

9歳の壁・10歳の壁について、AIの自己学習から考えてみる

AIが「自分で学び始める」ということ

AIの学習過程を見ていると、ある共通した段階があることに気づきます。学び始めたばかりの段階では、人の手による大量の手本と、細かい訂正が欠かせません。一つひとつの事例を与えられ、間違えれば正され、その積み重ねの上に、ようやく基本的な受け答えができるようになっていきます。

ところが、ある水準まで力がついてくると、様子が変わってきます。新しく与えられた情報を、それまでに積み上げてきた土台をもとに、自分の中で処理し、意味づけし、次に使える形に変えていく——外からの手取り足取りの訂正がなくても、新しい知識を自分の力で取り込んでいけるようになるのです。これは、訓練が不要になったということではありません。土台となる力が、次の学びを引き寄せる側に回った、という質的な転換だと言えます。

「読めるようになる」と「読んで学ぶ」の間にある、同じような境目

子どもの学びにも、よく似た境目があります。教育の世界では、読むことを覚える段階を「読めるようになるための学び」、そこから読むことを使って新しいことを知る段階を「学ぶための読み」と呼び分けることがあります。前者では、一文字ずつ、一文ずつ、大人の手を借りながら読む技術そのものを身につけていきます。後者に移ると、文章そのものが先生の役割を果たすようになり、子どもは本を読むだけで、自分の力で新しい世界を取り込んでいけるようになります。

この境目は、まさに先ほどのAIの転換と同じ構造をしています。土台となる力が、単なる「できること」から、「次の学びを自分で引き寄せる装置」へと役割を変える瞬間です。

9歳の壁は、切り替えのタイミングのズレとして起きる

「9歳の壁」「10歳の壁」と呼ばれる現象は、多くの場合、学校のカリキュラムそのものが、この切り替えがすでに終わっているという前提で組まれていることから起きるのだと思います。具体的な事例を使った説明から、抽象的な概念を扱う説明へ。生活の中の出来事を書く作文から、筋道を立てて論じる文章へ。教える側の支援の密度も、この時期を境に、意図的に、あるいは無意識のうちに、手薄になっていきます。

この切り替えのタイミングが、実際の子どもの内側で起きるタイミングと一致していれば、何の問題も起きません。しかし、外側の前提の方が先に切り替わってしまい、子どもの内側の土台がまだそこまで育っていないとき、支援は薄くなっているのに、求められる中身は急に難しくなる、という板挟みが生まれます。これが「壁」として経験されるのだと思います。壁は、ある年齢に自動的に現れる障害物ではなく、外側の前提と内側の準備の間に生じる、タイミングのずれそのものなのではないでしょうか。

比喩の限界にも触れておきたい

ここまでAIの学習をひとつの補助線として使ってきましたが、もちろん、この比喩には限界があります。AIの学習における「切り替わり」は、比較的はっきりした一つの水準として捉えやすいものですが、人間の子どもの場合、教科によって、興味の持ち方によって、その日の体調や気分によってすら、切り替わりの度合いはまだらで、揺れ動くものです。しかも子どもの学びには、感情や人間関係、自分は何者かという意識のようなものが、複雑に絡みついています。これらは、今のところどんなAIの学習過程にも、うまく対応するものが見当たりません。

それでも、「支えられて学ぶ段階」から「学びそのものが次の学びを生む段階」への切り替わりという構図そのものは、9歳・10歳という時期に起きていることの、かなりの部分を言い当てているのではないかと、今は感じています。