10歳以降の学びに、AIの自己学習の構造から示唆を探る
前回、9歳・10歳の壁について、「支えられて学ぶ段階」から「学びそのものが次の学びを生む段階」への切り替わりという構図で考えてみました。書き終えてからも、この続きが気になっていました。その切り替わりの後、つまり自分の力である程度学び続けられるようになった子どもは、具体的にどうやって学び続けているのだろうか、という点です。今回は、AIの学習の内側で起きているいくつかの仕組みを手がかりに、もう少しだけ具体的なところまで考えを進めてみたいと思います。
今のAIの多くは、文章の中から、ある一つの単語や短い文字列だけをあえて隠し(伏せて)、前後の文脈だけを手がかりに、そこに何が入るかを予測させ(当てて)、実際にそこにあった言葉と照らし合わせる(確かめる)、という作業をひたすら繰り返すことで、基礎的な力を身につけています。ここで隠されているのは、抽象的な「正解」というより、文章の中にすでにある、ごく具体的な一語です。誰かが意味や良し悪しをいちいち教えてくれるわけではなく、素材となる文章データそのものの中に、あらかじめこの「答え合わせ」の仕組みが埋め込まれている、という点が特徴です。
専門的には「自己教師あり学習」(Self-Supervised Learning, SSL)と呼ばれています。ただ、正直に言うと、この訳語は日本語としてあまりこなれていないと感じます。「自己」も「教師あり」も「学習」も、それぞれの単語の意味は分かるのに、3つ並べられると、かえって何のことか伝わりにくくなる。実態に即して言い直すなら、「伏せて、当てて、確かめる学び方」とでも呼ぶ方が、私にはしっくりきます。ここから先は、元の呼び名であるSSLという略称で話を進めます。
面白いのは、これによく似た構造が、人間の学習研究の中にも、SSLとはまったく独立に存在していたことです。教育心理学には、「学んだことを、もう一度自分の頭の中から引き出そうとする練習」を指す「想起練習」(retrieval practice)という言葉と、そうした練習を挟むと記憶の定着が良くなるという現象そのものを指す「テスト効果」(testing effect)という言葉があります。呼び方は違いますが、指している中身はほぼ同じもので、前者が「練習のやり方」に、後者が「その練習がもたらす効果」に、それぞれ注目した呼び名だと考えると分かりやすいと思います。
たとえば、教科書を何度も読み返すのが「再読」、教科書を閉じて、中身を自分の頭の中から思い出してみようとするのが「想起」です。再読よりも想起の方が、長期的な記憶の定着に効果的だとする考え方。テストは「力を測るための道具」であると同時に、それ自体が「学びを深める行為」でもある、という発想の土台になっています。
答えを先に見て覚えるよりも、まず自分の記憶から引き出そうと試みてから正解と照らし合わせる方が、定着が良いというのは、SSLの発想とかなり近いものです。身近な例で言えば、テスト前の「一夜漬け」が、なかなか本当の実力にはつながらないのも、同じ理由から説明できます。一夜漬けの多くは、教材を何度も読み返す「再読」型の勉強法であり、自分の頭の中から思い出そうとする練習をほとんど経ていません。テストのその場はしのげても、内容が驚くほど早く抜け落ちてしまうのは、このためだと考えられます。10歳以降の学び方として、「教わってから練習する」という順番を、「まず自分で考えてから、答え合わせをする」という順番に、意識的に組み替えていくのは、単なる思いつきではなく、今日から試せる具体的な工夫だと思います。
AIの学習には、自分が一度出した答えを、もう一度自分自身(あるいは自分の中の別の過程)で評価し直し、その評価をもとにさらに改善していくという、自己改善的な仕組みもあります。人間で言えば、自分が話したり書いたりしたことを、後になって振り返り、自分の手で直す。あるいは、誰かに教えてみて、初めて自分の理解の穴に気づく——そういう営みに近い構造です。これによく似た現象は、人間の学習研究の中では「プロテジェ効果」(Protégé Effect)と呼ばれています。「プロテジェ」とは、教えを受ける側の人、平たく言えば「教え子」「弟子」を意味するフランス語由来の言葉です。
他者に教える、あるいは教えるつもりで学ぶことで、自分自身の理解が深まるという現象。「人に説明できて初めて、分かったと言える」という経験則を、実証的に裏付けるものです。
自分の力で、ある程度学べるようになってきた子ども——ここでは、これを「自走」と呼ぶことにします——に対して、答えをすぐに与えるのではなく、「それを誰かに説明するとしたら、どう言う?」と問いかける機会を増やしてみる。そうすることで、この自己吟味のループを、外から起動させることができるのではないかと思います。
テストでよい点を取ることだけを目指して、出題パターンを丸暗記してしまうと、点数は上がっても、本来身につけたかった理解そのものからは、かえって遠ざかってしまう——そんな経験は、多くの人にあるのではないでしょうか。AIの学習でも、これによく似た現象が起きることがあります。目的を測るために置いた数値(評価指標)だけを、本来の狙いとは違うやり方でうまく上げてしまい、肝心の目的そのものからは外れてしまうのです。専門的には「報酬ハッキング」(reward hacking)と呼ばれています。
目的を測るために置かれた数値(評価指標)だけを、本来の狙いとは違うやり方でうまく上げてしまい、本来の目的からは外れた近道を学んでしまう現象。人間で言えば、「理解すること」ではなく「テストで良い点を取ること」そのものが目的にすり替わってしまうケースが、これに近い例です。この「数値だけが独り歩きしてしまう」問題は、より一般的にはグッドハートの法則(Goodhart's Law)と呼ばれることもあります。経済学者グッドハート氏の名にちなんだ呼び名で、「良い心」という意味ではありません。
10歳以降、テストや成績という「指標」にさらされる機会が急に増えることを思うと、これは軽く聞き流せる話ではなく、実際に注意しておくべきことだと感じます。「この評価は、本来何を測ろうとしているものなのか」を、子ども自身にも折に触れて意識させ続けることが、指標のすり替わりを防ぐ、具体的な手立てになります。
AIが特定のパターンの問題ばかりで訓練されると、そのパターンには強くなる一方で、少し形の違う新しい問題にはまったく対応できなくなることがあります。「過剰適合」(overfitting)と呼ばれる、よく知られた現象です。
人間でも、同じ形式の問題演習ばかりを反復すると、解き方の「型」は身につくものの、少し設定を変えた問題を前にすると、途端に手が止まってしまう——という経験は、多くの人に覚えがあるのではないでしょうか。10歳以降、「型」を教え込むことに偏りすぎず、意図的に多様な文脈・多様な形式の題材に触れさせ続けることは、抽象論ではなく、具体的に設計可能な学習方針だと思います。
ここが、今回、一番書いておきたかったところです。近年のAI研究で指摘されているのが、「モデル崩壊」(model collapse)と呼ばれる現象です。
AIが自分自身の出力を学習データとして再利用し続けることで、多様な考え方に触れる機会を失い、次第に発想の幅が狭まって、似たような答えしか出せなくなっていく現象。外部からの新しい情報が入らなくなることで起きる、視野の狭まりのようなものです。
AIが、人間の作った素材ではなく、自分自身(あるいは別のAI)が生成した答えを、再び学習用のデータとして使い続けると、次第に思考の多様性が失われ、内容の質そのものが劣化していく。これを人間に当てはめて考えると、逆説的な示唆が浮かび上がってきます。
ある程度自分の力で学べるようになった(つまり「自走」できるようになった)10歳以降の子どもは、放っておいても、自分の中にある知識や考え方だけを組み合わせて、それらしい答えを出し続けることができてしまいます。しかしそれは、自分自身の考えの中だけをぐるぐると再利用しているだけかもしれません。自走できるようになったからこそ、逆に、質の高い外部からの刺激——優れた大人との対話、質の高い文章との出会い、自分とは異なる考え方を持つ他者との衝突——を、意識して絶やさないようにする必要があるのだと思います。
大人が手取り足取り教える、という意味での関わりは、子どもが自走できるようになるにつれて、自然に減っていきます。しかしそれは、大人からの関わりそのものが要らなくなる、という意味ではありません。むしろ、直接教える場面が減っていくこの時期にこそ、良い会話や、質の高い文章との出会いといった「刺激を与え続ける」という形の関わりを、意識して絶やさないようにする必要があるのだと思います。
ここまで、AIの学習構造を手がかりに、いくつかの具体的な示唆を取り出してきました。それでも、この説明には限界があります。AIの学習には、外部から与えられた、比較的明確な一つの目標(損失関数、報酬)があります。一方、人間の10歳以降の学びは、本人の興味、将来への漠然とした思い、他者からの承認欲求など、複数の、しばしば互いに矛盾する動機が絡み合って動いており、これに相当する単一の指標は存在しません。
また、AIには身体もなければ、友人関係も、自分が何者であるかという意識もありません。10歳以降の人間の学びの少なからぬ部分は、こうした「自分は何者か」を模索する過程そのものと、分かちがたく結びついています。これは、今のところどのAIの学習過程にも、対応するものが見当たりません。
それでも、①自分で考えてから答え合わせをすること、②自分の考えを、自分で、あるいは人に説明する形で見直すこと、③評価指標と本来の目的をすり替えないこと、④偏った題材だけに閉じこもらないこと、⑤自走できるようになった後こそ、質の高い外部からの刺激を絶やさないこと——これらは、例え話の域を出て、今日からでも意識できる、具体的な学びの構え方だと思います。