日本語が主語を省く理由
「漢字のしゅくだい」教材の「つかいかた」欄に載せる例文を考えていたときのことです。「着」という字の例文として書いた、次の一文で、ふと手が止まりました。
「赤ちゃんに、あたたかい服を着せる。」
日本語の文として、この一文に違和感を持つ人はいないと思います。誰が着せるのか、書いていなくても分かるからです。
ところが、これを英語に直そうとすると、とたんに立ち止まります。
"Put warm clothes on the baby."
※これは命令文で、主語の You が省略されていると考えられる形です。
"I put warm clothes on the baby."
英語は、たいてい「誰が」を文の外に置いておくことを許しません。主語は、文を成立させるための必須の部品です。
日本語はそうではありません。「着せる」という動詞そのものが、「大人が子どもに」という関係をすでに含んでいます。だから、わざわざ「母は」「私は」と言わなくても、文の焦点は少しもぼやけません。むしろ、「母は赤ちゃんに、あたたかい服を着せる。」と主語を立てると、なぜか説明文めいた、よそよそしい響きになります。
これは、日本語がいい加減だからでも、英語が几帳面だからでもありません。それぞれの言語が、文を成り立たせるために何を「必須」とみなすかが違う、というだけのことです。日本語は動詞や文脈に多くを語らせ、英語は主語という「持ち場」を必ず埋めることを求めます。
「ことばブリッジ」が育てたいと考えている「まなびことば」は、単に難しい言葉を使うことではありません。こうした、言語ごとの「省略していい場所」「省略してはいけない場所」の感覚を持つことも、その一部だと思います。海外で英語に囲まれて育つお子さんにとって、日本語の「省略の論理」に気づく瞬間は、実は日本語力そのものよりも大きな財産になるかもしれません。